じっくり読んでみると、鎧と刃を隠さぬ驚愕的な中身である。「草案」の主な問題点を私なりに絞ると:
- はじめに国家ありき:国民は国家を守り・形成し・成長させ・継承するために存在する
- 天皇は元首:国事行為は限定されず、天皇に憲法尊重義務なし
- 国防軍:制約のない自衛権、戦争のできる国へ
- 自由、権利の制限が、「公共の福祉」から「公益及び公の秩序」に強化
今回はまず「はじめに国家ありき」について述べる。「草案」の前文が主に関係する。現行憲法の前文とは関連も類似性も全くなく、独自の主張をしている。以下に前文をそっくり引用(ただし2カ所で、“国民”に【 】を付した):
日本【国民】は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。
法案としては非常に変わった興味深い文章で、突っこみ所がとても多い:
・「平和のうちに生存する権利」は消えている
・やたら義務が課されるのに、日本国民がこの「草案」を憲法として制定するのは矛盾する
・科学技術振興とか経済活動とかの政策が混入している
「草案」は「立憲主義」とはかけ離れている。憲法は国家の権力を制限して国民の自由や権利を保障するため、国民が国家に遵守させるためにあるのに対し、「草案」は通常の法律のように国家が国民に遵守させる法としての性格が強く現れている。「草案」全体には国民の「義務」が21カ所もあるようだ。大日本帝国憲法は2カ所のみ(兵役と納税)、日本国憲法は3カ所のみ(子女教育、勤労、納税;前2つは権利と義務のセット)である。この「草案」はおおよそ「憲法」とは言えず、「日本国臣民が守るべき基本法」とでも呼ぶのが適当である。
一方で「草案」には「国民主権」や「日本国民が制定」と謳われており、憲法らしさを装っている。国民が自らを縛る法を自ら制定するだろうか?
そこで、【国民】と記した2カ所を「自民党」あるいは「支配層」と読み替えてみたらどうであろうか。矛盾はすっきり解消し、「草案」の目指すものがはっきり見えてくる。つまり:
「支配層」は独特の皇国史観、道徳観を持ち、それに基づいた国家像を持っている。「支配層」主権のこのような国家に、「一般国民」が様々な義務を負い奉仕し貢献するように、「日本国臣民が守るべき基本法」を「支配層」が制定する。「一般国民」に基本的人権や自由は与えるが、「公益及び公の秩序に」よって制限し(後述)、もはや平和には暮らせないだろう。
怖ろしいことに、この見方で「草案」を読むとたいへん分かり易くなり、全ての辻褄が合ってくる。自由平等な近代社会と「支配層」意識は全く相容れず、国家観や道徳観を押し付ける「草案前文」はおおよそ法的文書とはいえない。多くの人が一瞥して感じる違和感、呆れるという感想はここに由来するのだろう。
もちろん「支配層」と「一般国民」の分離は公には存在しないが、現実的にはかなりその傾向が現れている。自民党の政策が助長している格差社会とか日本社会の階層化である。依って立つ基盤である「一般国民」を疲弊させると、人口減少、経済の縮小であっという間に持続不可能になるだろうに。次の手は移民か。
自民党に「支配層」意識があるとすれば、それはどこから来ているのだろうか? それはいずれ考察する。次回は残りの問題点について述べる。