「立憲主義」:憲法は国家の権力を制限して国民の自由や権利を保障するためにある


「憲法とは主権者たる国民が権力者を縛るためにある(だから国民の権利の記載は多く義務は少ない)」と繰り返し憲法学者に言われると、現行憲法が妙に頼もしく思える。先の大戦で310万人の犠牲者を出した末に、日本国民が獲得した最も貴重なものとも言える。

暴走する自国の政府/軍ほど怖いものはない。一億総玉砕で日本は文字通り滅亡の危機、史上最悪の存立危機事態に陥った。ドイツ国民は2回も自国の暴走による惨禍を経験した。文化大革命、ポル・ポトなど政権が自国民を虐殺する例は数限りない。外敵から自衛するのはさほど難しくはない。一定の自衛力の備えと国民の団結心があれば良い。しかし自国政府があらゆる権力を使って、一見合法的に自国民を縛りあらぬ方向に動き始めたならば、昭和史を学べばだれでも感じるように、それに抗うことは極めて難しくなる。

上記のような事態を招かないためには、欠陥のない真っ当な憲法を定めて、政府が憲法を遵守することが必要である(立憲主義・法の支配)。東京書籍の「現代社会」高校教科書から立憲主義の記述をそっくり引用すると:
立憲主義とは、政治はあらかじめ定められた憲法の枠のなかで行わな ければならないというものである。さまざまな法のなかでも憲法は、ほかの法がつくられる際の原則や手続きなどを定める点で、法のなかの法という性格をもつ(最高法規性)。国家権力は憲法によって権限をさずけられ、国家権力の行使は憲法により制限される。憲法は、個人の尊重が目的とされ、人間らしい生活を保障するものであり、政治権力がそうした目的に違反することは、憲法によって禁止される。

明治憲法には少なくとも2つ大きな欠陥があったと考える:
  • 陸軍・海軍が天皇に直属し、内閣からは統制不能であったため、軍の暴走を招いた
  • 国民の自由や権利は法律の範囲内という但し書き付きで、法律を制定して自在に制約できた

戦争の惨禍への強烈な反省から生まれたのが「基本的人権尊重主義・国民主権(民主主義)・平和主義」を中核とする日本国憲法である。1945年10月から当時の政府は新憲法の検討を始めた。並行して多数の民間グループが憲法草案を競って発表しており、とりわけ「憲法研究会」の「憲法草案要綱」は国民主権・象徴天皇制・法律の下の平等を唱えており、GHQは注目していた。

1946年2月政府案(松本案)が新聞スクープされ「明治憲法にわずかな字句修正を施したものに過ぎない」と一般から強く批判された。ポツダム宣言(軍国主義の除去、基本的人権の尊重、平和的政府の樹立などを含む)を受諾した以上、明治憲法の小修正なんぞは論外である。

GHQはこの機会を捉えて、かねて準備していた通り憲法改定に関与し始め、「憲法草案要綱」などに基づいて「GHQ草案」を出すに至る。政府は始め渋ったが、いったん受け入れると驚くべき集中力と熱心さで作業を進め、4月17日に「憲法改正草案」を公表。当時の世論調査によると、草案を支持 85%、反対 13%;9条は必要 70%、不要 28%と圧倒的な支持を得ている。

9条は「GHQ草案」で初めて登場したが、そのアイデアは当時の幣原首相が提案し、McArthurはそれに飛びついたとされる。天皇を戦犯訴追すべきとの国際的圧力が強かった状況で、天皇制を維持(つまり日本を統治しやすく)するには民主的な憲法案をつくる以外に道はなく、特に象徴天皇制と9条の組み合わせは他の戦勝国を押し切る切り札だったのではないかとの推測である。9条の成立にはある種の必然性があったと思われる。

新憲法で最も国民の支持を得た点は、始めはおそらく基本的人権の尊重や象徴天皇制と思われる。9条はやや遅れて60年安保闘争を通して国民に完全に定着し、自民党政権も非軍事・経済優先路線に切り換えて高度成長を成し遂げた。9条は日本に莫大な国益をもたらしたし、今後もそうであろうと私は思っている。

 


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