- 天皇は元首:国事行為は限定されず、天皇に憲法尊重義務なし
- 国防軍:制約のない自衛権、戦争のできる国へ
- 自由、権利の制限が、「公共の福祉」から「公益及び公の秩序」に強化
● 天皇は元首:国事行為は限定されず、天皇に憲法尊重義務なし
天皇は「象徴」=>「元首」と位置付けるが、実権はなく現状と同じ国事行為を行うので、大差ないように見える。しかし幾つかの懸念点がある。内閣の「助言と承認」=>「進言」になり、記載されたもの以外の国事行為を行うことが可能となり、天皇の憲法尊重義務は削除されている。つまり天皇は憲法で完全には制約されず、憲法を超越可能な抜け道があり、これが政治利用される怖れがある。政治利用には「元首」のほうが好都合だろう。
明治憲法の大きな欠陥は、陸軍・海軍が天皇に直属したため、内閣からは統制不能な点にあった。天皇の名を(特に)陸軍は恣意的に使い、戦争に果てしなく引き摺り込んでしまった。その反省もあって現行憲法では天皇が明確に規定・制約されているのに、それを一部外すことになる。
実権のない「象徴」天皇という形態こそ、伝統的な日本のやり方だと考える。実権を持てば、必ず責任が伴う。実権を行使すれば、時にはひどく失敗する。「一億総玉砕」の危機は端的な例である。ウィルヘルム2世のように、昭和天皇が戦犯として訴追されても不思議ではなかった。天皇のあり方として、明治憲法時代は不幸な例外で特大の失敗例である。
天皇制の長い歴史や固有の文化を大事にしたいのであれば、なおさら天皇に実権と責任を持たせてはいけない。持たせなければ、権威が傷つく怖れもなく、万世一系が可能になり得る。平成天皇ご自身も「(象徴制が)伝統的な天皇の在り方に沿うもの」と発言されている。
● 国防軍:制約のない自衛権、戦争のできる国へ
これが「草案」の眼目で、要するに、戦争できるふつうの国にしたいのだ。制約のない自衛権なので、自衛の大義名分さえうまく作れば、海外への派兵はもちろんのこと、たぶん先制攻撃も(つまり侵略も)可能になるだろう。全ての戦争は自衛を理由に始まると言われる。先の大戦は自衛のためだったといまだに主張する人達の存在が、それを証明している。
軍隊を外国に送り、もし戦闘になれば必然的に犠牲が出るし災いの種を蒔く。日本の安全保障にとっては必ずやマイナスになる。最も賢いやり方は、今の自衛隊のようにしっかりした戦力を持ちながらも、決して外国に派兵しないことである。戦災を自らが引き起こす可能性は最小になる。集団的自衛権の議論と同じだが、なぜ自衛隊を軍隊にして海外に送れるようにしたいのか、合理的な説明は世の中に皆無である。
ひょっとして、自衛隊を軍隊にすれば尖閣の領海侵犯船を銃撃できる、竹島を急襲して取り返せる、北方領土も力ずくで・・・とか、安倍首相や取り巻きが本気でネトウヨ妄想してるのではないかと心配になる。あるいは将来、核武装して「極東のイスラエル」になりたいのだろうか? 破滅の予感しかない。
条文で最も無気味なのは、9条2-3の「公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる」の部分で、大規模な反政府デモの鎮圧に軍が出動して天安門事件のようなことさえ起こり得るのである。
徴兵制も実施できるように、ちゃんと仕込んである。前文には「国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り」、9条の3には「国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し」との記載があり、これを根拠に法律を作れるだろう。もっとも格差社会で貧しい若者が増えるので、徴兵に苦労することはないだろうが。
● 自由、権利の制限が、「公共の福祉」から「公益及び公の秩序」に強化
「草案」においても、自由、権利の条項は現行憲法通りに存在する(一部で表現が「侵してはならない」から「保障する」に後退)。大きな違いは、「公共の福祉」=>「公益及び公の秩序」によって制限が強化されていること。
『第29条 日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス』
のように法律の範囲内という但し書き付きであり、法律を変えて自在に操作できてしまっていた。それと同じことを意図的に狙っているのではなかろうか。
すべて国民は「個人として尊重される」=>「人として尊重される」
「個人として」なら「一人一人で異なる考えや行動を尊重する」ものと素直に読めるが、「人として」だと「一応人間扱いはしそうだが、個々の違いは抑圧されるのかな」と感じずにはおれない。
その他にも多くの仕掛けがあるが、細かく書くのは嫌になる。自民党はいつの間に、こんな草案を真面目に掲げる極右政党になってしまったのだろうか?
彼らは大日本帝国をモデルとし、天皇を戴けば正統性があると錯誤し、戦争ができて、国民を自在に統制できる「美しい国」にしたいのだろうか。彼らの祖父や曾祖父が活躍したあの時代に。