「民」の語源から思うこと

民-bronze.svg民-bigseal.svg300px-民-seal.svg国民、民衆、民主主義などで馴染み深く、我々自身を指すと思われる漢字・「」の語源を知るとそのブラックさに驚愕する。

白川 静(著)「新訂 字統」ウィクショナリー(左上の象形文字3体も)によると:

【民】眼を針で突き刺すさまを描いたもので、眼を針で突いて視力を喪失させることで自由を奪い取った人、すなわち「奴隷」を表した。古代には異族の俘虜を奴隷化することが多かった。後に、新しく服属した人々一般をも民というようになった。民は元々は本族以外の者を指す言葉であった。さらに、目の見えない人のように物事のわからない多くの人々、支配下に置かれる人々の意味に変わった。

安倍政権はまるで古代中国の支配者のような発想で、大手メディアを操って事実を曲げたり伝わらないように工作し、我々を奴隷的な「民」ならしめようとしているが、そうはイカの金玉。今はインターネットの時代、意志さえあればたいていの情報は得られるのだから、「民」(みん)としての日常に流されることなく、「見む」(みん)の気持ちを持ち続けたいと思う:

「見む」=見よう、見たい、見た方がいい、見るだろう
● 国民 => 「己口見む」(こくみん、自分は言う見る)
● 民衆 => 「見む衆」(みんしゅう)

英語では「people」の第一の意味は「the plural of person」。つまり複数の個人なので、被支配者の意味は全くない。ギリシャ市民社会と古代中国、西洋と東洋はかくも違っていたのである。「民」に限らず、漢字の語源を調べるとそのブラックさに驚くものが多い。例えば:

】横にわたした木に死者を吊している形。これを境界の呪禁(じゅごん、おまじないの印)として置いていたので、外方の意になる。
】 耳+又(=手)で、戦場で倒した敵の左耳を切り取る意で、その数で戦功の証とした。

残酷野蛮で血生臭いものが実に多い。古代中国がことさら野蛮であったと主張する意図はないが、漢字というものの成り立ちが、支配者側の視点で戦争、勝利、刑罰を記述・記録する目的で語彙が広がった側面が大きいと推察する。ちなみに、憲法の憲は:

】憲の上部は「害」の上部と同じく、大きな把手のある入れ墨用の針の形。これで目の上に入れ墨する字が憲(心を除いた)で、すなわち刑罰の意で、のちに法の義となった。

ならば、あの人には憲政史上最悪の首相として、額に「壊憲」とでも烙印を押すのが妥当な処置かも知れない。最後にもう一つ、血生臭くはないものを。
かねてから「秀」という字はなぜ「禿」に似ているのだろうかと不思議に思っていたのだが、「字統」を見てすっきり分かった:

】イネなどの禾穀(かこく、穀類、禾をイネとも読む)の穂先に花が咲いている形。その実ったものを【】(ぼく)といい、穆から実を脱したものを【禿】(とく)という。

秀でたるものは、ちゃんと役目を果たしたら、禿げるのである。


「「民」の語源から思うこと」への1件のフィードバック

  1. 民が 目+辛の下の針 という事は知っていたのですが、
    祇園の祇の字を調べると、示台に目を刺された生贄とあり、
    氏を調べると 目+辛の下の針 とありました。
    と言う事は、 民と氏は同根でしょうか?
     

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です