歴代天皇の在位期間と寿命

万世一系とか世界最長とか言われる皇室だが、果たしてどれほど信憑性があるのだろうか? 第一歩として「歴代天皇の在位期間と寿命」のグラフを作ってみた。出典は宮内庁HPの系図寿命はWikipediaから。

クリックして拡大。pdf版はこちら

在位期間は系図に書かれている通りに「退位年 – 即位年」とした。古代には空位が目立つが(例えば、14代・仲哀と15代・応神の間には70年の空白)、そのままとした。データの整理上、年代を4つに区分けしてみた:神武から仁徳まで(1~16代)、壬申の乱以前(17〜39代)、乱以降から南北朝まで(40〜99代)、南北朝統一以降(100〜125代)。区分内の平均値も示しておいた。

神武から仁徳まで(1~16代)は、明らかに非現実的である。在位期間も寿命も長すぎて、実在は疑われる。正に神話の世界である。

壬申の乱前後で区切った理由は、乱以降の記録は確かであろうと思われる一方、乱以前は勝者(つまり天武天皇系)の立場から歴史を歪曲・隠蔽してある可能性が拭えないからである。

在位期間に関する限り、乱前後で特に違いはないようである。平均在位期間は11年と12年ほどで、ほぼ同じ。1つの世代で兄弟か夫妻で即位し、次世代に継ぐパターンが多いことも、類似している。ただし乱以前の寿命は長すぎるし、諸説あって信頼性は元々低いようだ。

南北朝が統一された100代以降は、在位期間がほぼ倍の24.5年と顕著に長くなっている。親から子に直接継ぐパターンが多くなったからである。

天皇が実権を失い象徴的になった結果、頻繁な代替わりは費用が嵩むし、維持すべき皇統家系が増えるので、支配者(武士)は嫌がったのではないか。江戸時代には姉弟で継いだ例外が、2つ認められる。

ところで、仁徳天皇の直系は25代目の武烈天皇で絶えている。そこで応神天皇(仁徳の前)に遡り、その5世代目の子孫を担いで、26代目・継体(繼體)天皇が登場している。実在が疑われる神話の世界に戻って、違う家系が登場したのである。しかも237年の時をわずか5世代で超えて!

まさに國體をどうにかして継ぐための天皇なのではないか。履中と継体が実在したとしても、同じ家系であるとの根拠は乏しく、ここで別家系になったと見なすのが妥当だ。なお、継体の前後で在位期間と寿命を比べても、あまり違いはない。

仁徳天皇以前は架空だと思う。いわゆる仁徳天皇陵が現在は「大仙陵古墳」と呼ばれるのは、仁徳天皇のものとする学術的証拠がないからであろう。では、誰なのか? 大仙陵古墳の発掘は極めて重要な意義がある。あの巨大な前方後円墳を見れば、時の支配者が(実際は違っても)被葬者の子孫だと騙りたくなる気持ちはよく分かる。

系図で目立つのは、34〜44代に亘って見られるあからさまな近親結婚の繰り返しである。どういう背景なのか? 壬申の乱と併せて、宿題である。

光仁天皇以降は落ち着く訳だが、彼は天智天皇の孫にして、83才も年下である。施基親王を挟む2世代続けて、父が40才以上で生まれたことになる。もちろん十分あり得るが、当時としては極めて例外的であろう。施基親王の生年は不詳とされるので、怪訝さが増す。

当時は、皇統と謂えども通い婚(妻は実家に居住)だったので、後宮のように囲われていた訳ではない。だから母親は子の父がだれかを知っているが、父親は実子かどうか確信を持てないはずである。

ともかく、この系図はたいへん興味深い。これほど多くの突っ込み所、怪訝さがある資料を宮内庁が掲載しているとは、日本も変な国だ。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です