【中1道徳教科書への横断的コメント】
個人的な見方かも知れないが、読むだけでイライラするのが、以下の4種、10教材:
(○:ポジティブ、▼:ネガティブ、・:ニュートラル評価; 矢印は注記)
▼教育出版1・4「不自然な独り言」
▼廣済堂あかつき1・22、学研教育みらい1・30「吾一と京造」
▼学校図書1・14、日本教科書1・p. 47「いつも一緒に」
・5社で採用「銀色のシャープペンシル」
上から順に、歩道を渡ろうとする盲人に、助けの声をなかなか掛けられないもどかしさを長々と。
遅刻した事情を先生に説明せずに、なぜか奇妙に黙ってしまう。
集団親和的な生徒間で、裏表のあるやり取りが引き起こす混乱。 最後は、拾ったシャープペンシルは実は友達のもので、「盗んだのか?」と詰問されて、つい「買った」とウソ。
いずれも、言うべき時に言えない(言わない)、素直に正直に言えなかったという例である。
会社勤めの経験からは、若い世代ほど言うべき時に言わない傾向が強まっているように思える。外国人と比べて、明確に日本人の劣る点だ。価値観や習慣の問題ではなく、コミュニケーションに時間が掛かったり、討論が深まらなかったりと、非効率なのだ。筆者自身も討論のスキルがなく、大いに苦労した。小中高大と学校で討論の訓練を受けた覚えが全くない。意見発言と討論の訓練が、日本の学校教育に最も欠けている部分だ。
「自分の考えや意⾒を相手に伝えるとともに,それぞれの個性や⽴場を尊重し・・・」とは文科省の徳目#9「相互理解、寛容」で、筆者も素直に賛成できる数少ない徳目の一つである。これは「個人の尊重」を対人コミュニケーションとして具体的に示したものとも言える。将来の日本を背負う「主権者」として、生徒には自らの意見を持ち、言うべき時に発言してもらいたい。
対照的にスッキリする好ましい教材は:
○光村図書1・17「やっぱり樹⾥は」 ←レジ係にからむオバさんを、サラッとたしなめる
○日本文教1・13「部活の帰り」 ←バスに乗りたい老人をテキパキ助ける
・光村図書1・9「一粒の種」 ←転校生の呼びかけで、バレーボール部応援団立ち上げ
3例とも、言うべき時にはっきりものを言い、さっさと行動する生徒を登場させて、外連味なく活躍させている。ありそうでない教材。ちなみに、3例とも主人公は女子であり、これは意図されたジェンダーバイアスだろうか? その他に、以下2教材はとても希少価値がある:
○光村図書1・24「異文化の人々と共に生きる」、p.148「考えの違いを乗り越える」 ←外国人とのコミュニーケーションを取り上げ、討論の進め方などを教えている。
○教育出版1・12「選ぶということ」 ←生徒会の役員改選のクラス内予備選挙。候補者揃っての方針説明会など。主権者教育という観点で唯一無二と思われる。