自民党と日本会議は表裏一体:日本会議の系譜と年表

第二次安倍内閣閣僚の大半が日本会議であることを示す上の写真はネットでは有名だが(元ソース不明)、日本会議の内実は分かりにくい。街頭行動のような一般向け活動はあまり行わず、大手メディアの報道は少ない。最も参考になるのは:

【活動実態】日本会議HP、国民運動の歩み

【系譜と人脈】菅野完氏の連載記事:シリーズ【草の根保守の蠢動】ハーバービジネスオンライン

これらから抽出して「日本会議の系譜と年表(pdf)」を作成した。自民党の背後にいる日本会議がどういう人達によって作られたのか、何をやってきたのかが分かってくる。


TaniguchiMasaharu● 出発点から「明治憲法復活」や「反憲的解釈改憲路線

日本会議のルーツは「生長の家」創始者・谷口雅春氏にまで遡る。「明治憲法復活、占領体制打破」のスローガンで「生長の家」は右翼社会運動を積極的に推進し、多くの人がこの流れを受け継ぐ。

1960年代後半、全共闘など左翼学生運動の高まりに対抗して、右翼民族派学生も全国学協なる組織を立ち上げた。中心メンバーとして椛島有三氏が登場する。三島由紀夫は全国学協の顧問に就任し、強い影響を与えたと思われる。椛島らはさらにOB組織・日本青年協議会を設立し、「反憲・民族自立路線」や「反憲的解釈改憲路線」をとる。その直後、三島由紀夫が憲法改正を訴えて自衛隊クーデターを呼びかけた後に割腹自殺する。

KabashimaYuzo● 元号法制化の成功と様々な「国民運動」

1974年に前身の「日本を守る会」が設立された。椛島有三氏らの日本青年協議会が事務局に加わってから活動が本格化する。地方議会に働きかけて元号法制化を国に要請する議決をさせる運動で、最終的に46都道府県、1632市町村で採択され、わずか2年足らずで元号法を成立させた。この成功で椛島の地位は確固たるものとなり、彼は現在日本会議・事務総長、日本青年協議会・会長である。

特定政策につき「署名を集めたり、地方議会に働きかけて国への請願を議決させ、直接あるいは議員懇談会を通して政府に圧力を掛ける」のが彼らの常套手法になる。年表を見ると、復古的ないし反リベラル的で組織的な運動のほとんどは、実は日本会議が行ってきたものだと分かる。

テーマごとに、「歴史教科書編纂委員会」、「平和祈念館をただす都民の会」とかの新たな会を立ち上げており、日本会議の名で直接行うことはないようだ。日本会議という名前があまり知れ渡っていないのは、それが理由と思われる。国政テーマだけでなく、資料館の展示や教材資料とか、地方議会レベルで細かくクレームを付けて、歴史修正主義を実行している。港区区議会における具体的な例が紹介されている。

そして1年前に「美しい日本の憲法を作る国民の会」を立ち上げ、いよいよ本丸に迫ってきている。

● 会員数は3万5千人、傘下の宗教団体信者が運動を担うのか

日本会議の会員数は3万5千人と複数のメディアで報じられている。擁する議員数からすれば、意外に少ない。しかし傘下には多くの宗教団体があり、それら信者が動員されるのだろうか? しかしその数を推定するのは難しい(宗教団体の信者数ほどいい加減な数字はない、また動員に応じるのは一部だけ)。日本会議のHPには「10万人ネットワーク」という記述があるので、これが最大動員数と思われる。その信者達が日本会議の「改憲」を本当に理解して賛同しているのかと問えば、それはどうも違うようである:

「一般信徒のみなさんは、素朴なパトリオティズム(愛郷心)や皇室崇敬、伝統の尊重、宗教心や道徳の尊重姿勢に基づいて参加したり協力したりしているのだろう・・・」

● 自民党は憲法改正の運動方針を削除したこともあった!

年表記載の1985/10のことで、意外な事実。自民党が初めて下野した1993年にも同様な議論があり、当時初当選の安倍晋三は強く反対したという。昔の自民党は政策の幅が広く、ハト派が優位だったこともあるという証左だろう。

しかし小選挙区制となり郵政選挙を経て、現在の自民党は独裁政党に変身している。総裁の言うことは絶対であり、総裁に逆らうのは政治的死を意味する。独裁政党が圧倒的多数を握る今の日本は、非常に危なっかしい状態にある。

● 安倍首相周辺の「反憲」人脈

衛藤晟一首相補佐官は(椛島と同じように)かって大分大学協を率いた。「新聞潰せばいい」発言が出た「文化芸術懇話会」の木原稔代表や長尾敬議員らの、日本青年協議会との関係が指摘されている。未公開株議員枠を騙って離党した武藤議員も日本会議会員で「反憲」的な暴論を吐いていた。恐らくは、安倍チルドレンのかなりにそういう人達が含まれているだろう。

集団的自衛権行使は合憲とする3人の憲法学者(百地章、長尾一紘、西修の各氏)はいずれも日本会議関係者だし、安倍首相がNHK経営委員に指名した長谷川三千子氏は日本会議代表委員である。

ItoTetsuo安倍首相の筆頭ブレーン・伊藤哲夫氏(日本政策研究センター所長)は、かって右翼運動に熱心だった頃の「生長の家」で「中央教育宣伝部長」だった。1983/10に「生長の家」は右翼活動を突然止めてしまったので、伊藤氏は止む無く独立したようだ。

菅野完氏は1979年に発行され(伊藤氏も関わったはずの)「生長の家」教団内資料を発掘し、以下の部分を引用している:

『占領憲法体制の解体は、何よりその成立の暴虐的過程を糾弾し、占領軍の強制々定のあり方が、大日本帝国憲法に於ける法的違反および、国際法違反であることももって正統憲法復元を克ち獲らなければならないが、そのためには復憲の大義に、自己生命を捨て得る内閣総理大臣の出現・・・』

『現占領憲法下に於いても可能な限りわが国を防衛する対策を樹て、これ以上失ってはならぬものを死守するために非常なる努力を為さねばならないということである。その第一が、反憲的解釈改憲の”たたかい”に他ならない。』

彼らは35年前から、「反憲」を実行しうる首相の出現を待ち、実行の第一歩は「反憲的解釈改憲」だと主張していたのである。正にこの第一歩を安保法制で強行したのだ。「反憲」的な考えを元から持ち、(安倍寛ではなく)岸信介の孫であり、知性に欠ける安倍晋三は、彼らにとって恰好の人物であり、早くから支援していたと思われる。知性に欠ければこそ、どんなに筋の通らないことでも臆さず主張するし、非常識で強引なやり方を平気で実行できるからである。【注1】

「反憲」の安倍首相を「反憲」の日本会議/日本青年協議会系の人達が取り囲んで突き進んでいる。これが政権の実態だと思う。政権はたかが会員3万5千人の日本会議のためにあるのだ。

【注1】ただし、2006年の第一次安倍政権では知性に欠ける実像がありのままに報道されてしまい、辞任に至る。その反省から、第二次安倍政権では公に発言するときは、必ず事前に準備したメモ・台本通りに喋ってボロを出さないようにしている。記者会見でさえ、事前に質問を出させているそうだ。想定しない質問が出ると、途端に支離滅裂な答えになる。


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