なぜ、この2団体にかくも多くの自民党議員が懇談会メンバーとして名を連ねるのか? 自民党を支持する団体は多々あるが、それらの多くは「与党」支持団体であることを、野党に下った時に自民党は初めて認識した。つまり野党時代には冷たくされたのだろう。しかるにこの2団体は、右派主要政党として自民党に変わらぬ支持を与えた。神政連には、手足(会員組織)がないようだが、保守層には欠かせないネームバリューがあると思われる。日本会議は、会員や配下の宗教組織を動員すれば大いに行動力があり、強い味方になる。もし選挙で支援を求めたならば、当選後の議員にとって日本会議は最も配慮すべき圧力団体になる。
彼らの共通感情(認識)として「現行憲法への強い反感」がある。
「現行の日本国憲法は、残念ながら日本人として自信と誇りを持てない恥ずかしい憲法です。特に甚だしいのが前文と第一章の天皇条項でしょう・・・明治の日本人が苦心して自ら作り上げた帝国憲法の・・・」 とある。
などと発言が並ぶ。
さらには2団体とも、現代の社会問題をいろいろ指摘し、それらがあたかも憲法や道徳の問題であるかのように論点をすり替えている。自民党の政策自体が最大の要因なのに(就職難、派遣労働、格差社会、貧困・・・)、不満を憲法問題に逸らそうとする意図であろうか? 欺瞞であり責任逃れである。
他方で、栗原彬氏(社会学者、立教大名誉教授)によると「日本国憲法は国連、EUに並ぶ立派な人類史の遺産と言われている」し、私自身もこの見方に賛成する。現行憲法のおかげで戦争に巻きこまれることもなく、平和を享受して一時は世界2位の経済大国にまでなったのに、その成果・実績を全く語ることなく無視して、「強い反感」を持ち続ける人達の存在を私自身は理解しがたい。
『日本会議には知り合いがたくさんいますが、彼らに共通する思いは、第2次大戦で負けたことが受け入れがたい。その前の日本に戻したい。彼らの憲法改正は明治憲法と同じですし、今回も、明治憲法下の5大軍事大国となって世界に進軍したい。そういう思いを共有する人々が集まっていて、自民党の中に広く根を張っていて、よく見ると明治憲法下でエスタブリッシュだった人の子孫が多い。そうすると意味がわかるでしょ?』
小林節氏は本質をズバリと伝えるのが上手いと思う。「敗戦を受け入れられない」のは、「明治憲法下で支配層だった人達の子孫」つまり「戦争責任のある人達の子孫」が多いからだと説明する。なるほど、彼らは先祖の大失敗をなんとか無かったことにしたい。だから未だにあの戦争は自衛のためだったと言い張り、侵略とは認めない。先祖を裁いた東京裁判なんぞは絶体に許せない。南京大虐殺や慰安婦はなるべく矮小化したい。GHQに押し付けられた、軍隊を持てない憲法なんぞは認めない。なのに、なかなか変えられない、不満で堪らない、絶体に改憲してやる・・・。そういう人達の集まりなのである。そして安倍晋三自身が、正にこのような思いに取り憑かれた人物のように見える。
安倍首相の70年談話で、満州事変から「そして七十年前。日本は、敗戦しました。」と一気に飛んだので、私は読んで思わず笑った。母方の祖父・岸信介が取り仕切った満州国、侵略そのものの日中戦争などによほど触れたくないのだろう。安倍内閣には、安倍、麻生を筆頭として戦時中の官僚/国会議員からの世襲が確かに多い。
改憲を巡る論争は、戦前の支配層の子孫あるいは「敗戦を受け入れられない」思いを引き継ぐ人達と、現行憲法下で学び平和に育った我々一般国民との認識の違いに由来するのだろう。一般国民が現行憲法に満足しているが故に無関心でいる間に、彼らは着々と(我々が望まない方向に)改憲準備を進めていたのだ。
余談ながら、安倍首相の父方の祖父・安倍寛(かん)は「清廉潔白な人格者」で地元では「大津聖人」と呼ばれ、1942年の翼賛選挙でも東條英機らの軍閥主義を鋭く批判し、無所属・非推薦ながらも当選したそうである。リベラルの鑑のような人物で、岸信介とは対極的である。残念なことに1946年に亡くなった。もし彼が長生きしていれば、今の自民党ははるかにマシだったろう。
さらに余談ながら、谷垣禎一幹事長の母方の祖父は、陸軍の対支那・宣伝謀略課長として活躍、アヘン取引の立ち上げも行った。後にラバウル師団長となり、生き残り部隊に「総員玉砕せよ!」と命じた当人である(水木しげるの作品で有名)。陸軍中将、戦犯として獄死した。谷垣禎一氏には全く無関係なことだが、戦争の残忍な陰がここにもある。