「権利には義務が伴う」は間違い

【中1道徳教科書への横断的コメント】

遵法精神、公徳心に関する以下3教材は、どうも「権利には義務が伴う」と言いたいようだが、いずれも趣旨不明で「珍妙」、無理な筋立てである。(▼:ネガティブ評価)

▼東京書籍1・3「選手に選ばれて」、主題は「権利と義務を考えて」
足の速いA君は、クラス対抗リレー選手に投票で選ばれるが、勉強を理由に固辞。しかし「選挙で選ばれた以上、クラス全員の代表として出場する義務がある」とみんなに言われて、困惑する。
「集団生活の中で、権利か義務のどちらが大事か・・・」との記載もあり。

選挙というなら、そもそも出場意思がある生徒の中から選ぶのではないのか? 望まない者に「選ばれた義務がある」という理屈が分からない。事前に意思確認をしないのであれば、むしろ罰ゲーム的な「強制」になってしまっている。教材の言う「権利」は、拒否する自由を指すのだろうか? ならば「自由と強制のどちらが大事か」という珍妙な命題になり、意味を成さない。

▼学校図書1・23「淳の住む町」
粗大ゴミの椅子がふつうゴミとして出されており、ゴミ出しルールを普段から注意しているおばあさんが、やむなく自費で処理する。 p. 151のフォローに「果たすべき義務を果たさず、自分の持つ権利だけを主張する人がいたら・・・」との記載あり。

▼学研教育みらい1・31「傘の下」
病院の帰りに思わぬ雨で、傘立てから黙って勝手に拝借し、持ち主に迷惑を掛ける話。
p. 155のフォローに「自分の権利は強く主張する一方で、果たさなければならない義務をなおざりに・・・」との記述あり。

ゴミ出しルール違反、傘を勝手に持ち出すのは犯罪行為という点は明確である。他方、「権利だけを主張する人」は上2つの教材には登場していない。義務を果たしていないのは明確だが、それと権利とを関連づけるものは何もなく、まるでヤクザの言い掛かりのような論法である。

上記3例とも無理筋ということは、「権利には義務が伴う」は一般的には間違いであることを示唆する。「権利と義務」が対になるのは、私人対私人の契約ではその通りだが、それ以外では一般に当て嵌まらない。

法律やルールも、憲法に基づいて正しく作られているなら、その目指すところは憲法と同じく、国民の基本的人権を護り、「個人の尊重」を実現することにある。従って法律やルールを遵守するのは、自分を含むみんなの自由や権利を守ること、と言うべきであろう。

憲法第12条後段に「国民は、これ(自由及び権利)を濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」と書かれている通りである。「遵法精神、公徳心」はこのような観点で論じるべきである。


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