もしも9条なかりせば・・・

img_2歴史に if はないが、もしも9条がなかったとすれば、日本はどうなっていただろうか? 憲法制定時からの状況を思い出しつつ想像するのはたいへん興味深い。しかし中国(国民党)、フィリピン、オーストラリアなどが日本の再軍備を強く警戒していた当時の状況からすれば、「9条がそっくり無い」のは全く非現実的である。

あり得るとすれば、第2項の表現を弱めて、自衛のためだけの最小限の戦力(つまり自衛隊)をなんとか認めさせたぐらいだろう(引き替え条件は天皇・裕仁の退位、明仁の即位か)。従ってこの if は、自衛隊を組織する時期と海外派兵(集団的自衛権行使)に関係する。

  • 1947年から自衛隊を組織し始める
  • 朝鮮戦争に傭兵として自衛隊員4万人動員、死者4千人、負傷1万2千人
  • サンフランシスコ条約の締結と独立は休戦後にずれ込む
  • 休戦後も中国、ソ連、北朝鮮から厳しく敵視・対峙され、軍備拡充に追われて経済復興ままならず、ソ連からは国連加盟などことごとく邪魔される
  • 東京五輪1964を招致できず、新幹線や首都高着工は大幅に遅れる
  • ヴェトナム戦争に自衛隊が参戦、死者5千人、負傷10万人、PTSDなど後遺症 10万人

すでに旧日本軍は解体され、高級将校らは戦犯訴追などで復職はほとんど許されず、まずは下級兵のみの新規公募によって自衛隊は第一歩を憲法制定直後に踏み出す(自衛隊の前身である警察予備隊もこのようにして、ただし朝鮮戦争勃発「後」の1950年8月13日に募集が始まった)。当時の食糧難・就職難の状況からして、たんに十分な食事と平均的な給与待遇だけで、容易に数10万人規模を集めることができただろう。階級組織など徐々に整備されるが、全体としては米軍に従属し、武器装備は極めて貧弱であった。

1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発する。国連軍の強い要請により自衛隊も参戦する【注1】。日本はまだ独立していなかったので、自衛隊ではなく米軍の傭兵という位置付けである。極秘のうちに延べ4万人もの隊員が動員され、勇敢な戦闘で多大なる戦功を揚げたが、犠牲も多かった。死者4千人、負傷1万2千人(ちなみに米軍の死亡率(不明含む)は9.3%)。交戦国の中国(共産党)・ソ連・北朝鮮は日本軍が参戦しているとして激しく非難するが、米国は日本参戦を完全否定して押し切る。当時の厳しい報道管制下でも、犠牲者の多さは静かに広く知れ渡り、日本社会に衝撃を与え、国民が新憲法で感じていた平和への希望や開放感に深刻な影を落とす。多くの隊員が動員中であったため、サンフランシスコ条約の締結と独立は朝鮮戦争休戦後の1953年暮れに遅れてしまう。

休戦後も、中国(共産党)、ソ連、北朝鮮から敵国として厳しく対峙され、日本も多大な国家予算を割いて軍備拡充を急がざるを得なくなる。国連加盟などあらゆる機会でソ連に敵対され、国際社会への復帰が遅れる。国内は半戦時体制の厳しい雰囲気に満ちる。朝鮮特需で持ち直した軍需産業は引き続き好況を維持するが、民生部門はひどいままで、限られた予算のため戦災からの復興や一般国民の生活向上は遅遅として進まなかった。

東京五輪1964は招致できなかった。1959年5月26日、ミュンヘンで行なわれた第56次IOC総会での投票で、デトロイトに敗れる。ソ連など共産圏国、東アジア諸国からの強い反発があり、支持を得られなかった。新幹線や首都高の建設はずっと遅れることになる。

政府は次第に軍事色、強権色を強めていったが、憲法の制約でなかなか思い通りには出来なかった。最も注力したのはメディア操作で、中国、ソ連、北朝鮮の脅威を煽りつつ、新聞/ラジオなどマスコミトップ層を様々な手段で取り込み、なるべく政権に有利な報道がなされ、世論が望ましい方向になるように腐心した。そのような下準備の末に、明らかに憲法違反なのに、集団的自衛権行使を可能とする安保法を1960年5月19日に強行採決する。つまり自衛隊を海外に派遣できるようにした。表向きは米国の要請に応じてと説明されたが、本当の狙いは9条を実質的に空文化して「戦争できる普通の国」になるためである。

政府は1964年からヴェトナム戦争に関与し始め、米国からの多額の援助と引き替えに、翌年から本格的に自衛隊を投入する。米国はまた派兵された自衛隊員すべてに60ドル/月の戦闘手当を支給する。当時は1ドル=360円なので、21,600円、ちょうど大卒初任給ほどである。手当の大半が日本本土に送金され、貴重な外貨となった。自由主義を守るという建前で参戦したのだが、実態はカネのために米国の傭兵になったのである。それほど当時の日本は貧しく、資金不足で経済成長が進まず、外貨収入が乏しかったのである。最大で5万人、1973年まで延べ32万5千名を派兵し、死者5千人、負傷10万人もの損失を出した。大義のない戦争に駆り出された自衛隊員は、厳しい戦場でモラルが崩壊し、数多くの残虐行為・虐殺を行った。帰還隊員の3割が枯れ葉剤や精神的後遺症に悩み、深刻な社会問題となる。彼らの犠牲の上に日本はようやく高度成長の軌道に乗るが、社会に深すぎる傷を残してしまう・・・空想ここまで。


ヴェトナム戦争に実際に参加したのは韓国などであり、前段落で「日本/自衛隊」=>「韓国/韓国軍」と置き換えれば、いろいろな数字はほぼ事実となる。韓国のように「軍隊を持ち海外にも派遣して戦争できる普通の国」であったならば、日本もかくも過酷な運命になり得たと思う。ひょっとしたら、私自身も志願ないし(経済的)徴兵されて従軍し、死亡していたかも知れない。

9条のおかげで戦争に関与せずに済んだ日本は、新幹線、首都高を開通させて高度成長の真っ只中にあり、平和を謳歌し、1964東京五輪を開催し国際社会に完全に復帰したのである。9条で日本は莫大な国益を得ている。

憲法制定時の首相・吉田茂など当時の首脳も、GHQとのやり取りを経て、9条の必要性を十分に理解していた。天皇制を護り、早く復興、独立して国際社会に受け入れられるために、9条が必要なことを100%認識していた。本音では不満があったようだが、彼らは新憲法制定を積極的に推進し、日本を望ましい方向に導いたのである。


【注1】仮定ではなく、実際に「日本特別掃海隊」が朝鮮戦争に極秘で参戦していた。旧日本軍のなかで唯一、掃海部隊だけは解体されずに海上保安庁に所属し、旧日本軍が仕掛けた機雷の掃海任務に当たっていた。当時唯一の活用可能な戦力は動員されて、1950年10月から12月15日にかけて半島周辺海域で掃海を行った。約8千名が参加し、56名が死亡した。

『独立前・国連軍要請・旧日本領の朝鮮半島海域も元来の掃海任務対象』であったとは言え、現行平和憲法下なのに国会承認もなく、日本は参戦していたのである。中国、北朝鮮、ソ連から強い非難を浴び、国会でも大きな問題となった。しかし、限られた期間だったためか、幸いにもさほど深刻な国際問題には発展せず、1951年のサンフランシスコ条約締結と独立が実現した。日本は非常に危ない橋を渡らされたものだと感じる。

もし陸自部隊が当時すでに組織されていたならば、間違いなく地上戦に投入されて直接交戦していたはずと考える。ならば日本のその後に極めて深刻な影響があっただろう。


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