本稿は教科としての道徳のあるべき姿を論じるものである。
道徳的な考え方は、古くは十戒など宗教的な教えや儒教など思想・倫理として様々な形で表現されてきた。共存共生の社会生活を営む上で、人類があまねく必要としてきた概念である。必要性は普遍的でも、その内容は年代、地域、宗教などにより様々であり、互いに矛盾する事柄も多く、中身は普遍的ではなかった。
現代の世界では、共存共生の社会生活を営む上での基本的考え方は、『基本的人権の尊重』として集約され、広く人類の共通認識となっている。1948年の世界人権宣言や日本国憲法「第3章 国民の権利及び義務」に謳われている通りである。
世界人権宣言の冒頭行「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎である」がはっきりそう表明している。言い換えれば、現代における普遍的な道徳的な考え方とは『基本的人権の尊重』である。
『基本的人権の尊重』とはさほど堅苦しくも、ややこしいことでもなく、簡単なことだと考える。だれしも同意するであろう普遍的な原理:
○ 一人一人がかけがえのない存在であること
○ だれしも自由で平等であり、公正であるべきこと
この2つだけからほとんどの人権条項は演繹可能と筆者は考える。自己と同じく、他もかけがえのない存在であり平等なことを認めれば、自己の権利・自由が制約されることも容易に理解でき、「公共の福祉」の概念が導かれる。
教科名として「道徳」は不適当である。「道徳」の定義は、例えば「社会生活を営む上で、ひとりひとりが守るべき行為の規準(の総体)。自分の良心によって、善を行い悪を行わないこと。」とされる。しかし「良心」「善」「悪」を論理的普遍的に定義することは難しく、これが道徳を教科名とすることの本質的問題である。特に「善」「悪」は相対的であり、しばしば特定の価値観に結びついており、たいていの場合は宗教的である。
戦前の「教育勅語による道徳教育」が悪い見本である。皇室・国家への絶対忠誠という目的で、型に嵌まった行為の基準や善の概念を、上から押しつけ叩き込んだ。いわば、生徒を絶対服従のロボットに変える教育であった。日本があの破滅的な戦争に突き進み、「一億総玉砕」の存亡の危機に至ったのは、教育勅語教育も最大の要因の一つである。
その反省も込められている憲法第20条第3項「 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」からすれば、「道徳」という教科名は誤解を招きかねず、好ましくない。「道徳」という教科名に引きずられて、特定の価値観や人物像を押しつけるようなことは、決してあってはならない。日本は法治国家であり、最高法規は日本国憲法であり、行政の一環たる公教育も日本国憲法に基づいていなければならない。
現代の普遍的な道徳的な考え方とは、上で述べた通り『基本的人権の尊重』であるから、教科名として相応しいのは「人権と公共」であろう。あるいは小学生向けには、例えば「私とみんな」でも良い。学ぶべき内容は、日本国憲法「第3章 国民の権利及び義務」に基づき、「基本的人権」と「公共の福祉」である。これこそ、現代日本の社会生活の根底にあるもので、教科として名実が一致する。
まずは、「個人の尊重」(憲法第13条、みんな違ってみんないい、あるいは相手の存在もありのままに認めること)が最も重要なポイントである。これが身についていれば、身勝手な自由が「公共の福祉」を損なうことも容易に理解できる。いじめ防止にも繫がるし、互いに意見を聞き合う態度も身につく。
次いで、自由や平等、公正とかの概念・重要性をしっかり理解させる。身近で具体的な様々な例で疑似体験するなどして、実感できるような教え方が望ましい。学年が上がるにつれて、思想、良心、信教、表現、言論、学問といった様々な自由について学んでも良い。「世界人権宣言」そのもの、或いは日本国憲法「第3章 国民の権利及び義務」の一部を、直接教えても良いのではないか。
全体として、知識を詰め込むのではなく、討論などを通じて自らの言葉で表現できるように指導するのが望ましい。発言の機会均等や他人の意見を聞くことなど、討論のスキルを訓練することも重要である。個性・自主性・創造性を重視すべきである。
この教科の目的は、繰り返しになるが、「一人一人がかけがえのない存在であること」、「だれしも自由で平等であり、公正であるべきこと」を学ぶことである。決して、集団親和と従順さを押しつけるものであってはならない。
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<余談1>
『基本的人権の尊重』を理解することは、すなわち現代の道徳的な考え方を身につけることである。従って、基本的人権を蔑ろにする者は、一般に非道徳であろうと推論できる。
基本的人権をほとんど無視していた大日本帝国は、特に戦時中、極めて反道徳的であった。安倍首相を始めとする自民党の極右政治家達は、基本的人権を蔑ろにする発言が散見されるが、彼らは非道徳的な行いをすることが多い。
<余談2>
教科「公民」を「主権者教育」と改名することも提案したい。教科の第一の目的を、「主権者として日本国憲法を学び、国政が憲法を遵守して行われているかを観る目と、政治への主体的参加意識を養う」こととする。