生長の家原理主義者とは、菅野完氏の連載記事【草の根保守の蠢動】(単行本「日本会議の研究」)でしばしば用いられる表現であり、「教祖・谷口雅春による国粋主義的な教えに未だに忠実な人々」である。彼らのリーダー格に共通するのは、70年安保で左翼に対抗した右翼民族派・生長の家学生運動の出身者であることだ。
実は生長の家教団(現総裁・谷口雅宣氏)は1983年10月以来、右翼運動からは手を引き、現在はリベラルエコロジー教団に転換している。しかしほんの一握りの「谷口雅春原理主義者」とでも呼ぶべき人々は、教団本部とは対立し或いは離れて、右翼運動を連綿と続け、そして安倍晋三という政治家と出会って強く結びつき、現在は安倍政権を通じて日本を牛耳っているとも言える。
谷口雅春の教えとは何か? その中身が分かる彼の著作を別記事で紹介した。過激な皇国史観・国粋主義であり、妄想と言える。彼が戦後最も熱心に取り組んだのは「明治憲法復元運動」である。1973年当時の教団内部パンフレット「神国への構想、生長の家青年会の任務とその課題」を菅野完氏は発掘し紹介している【注1】。その一節から彼らの考えを知ることが出来る:
占領憲法体制の解体は、何よりその成立の暴虐的過程を糾弾し、占領軍の強制々定のあり方が、大日本帝国憲法に於ける法的違反および、国際法違反であることももって正統憲法復元を克ち獲らなければならないが、そのためには復憲の大義に、自己生命を捨て得る内閣総理大臣の出現(中略)しなければならない。
安倍晋三こそ、彼らが待っていた人物である。岸信介の孫、知性に欠け、現行憲法に対し似たような考えを持つ人物である。知性に欠ければこそ、どんなに筋の通らないことでも臆さず主張するし、非常識で強引なやり方を平気で実行できる。彼らが安倍晋三を支えて(踊らせて)、総理大臣にまで押し上げたのである、明治憲法を復元させるために。
以下、マジェンダ文字は生長の家関連組織ないし役職である。なお、この記事の内容は主にシリーズ【草の根保守の蠢動】に基づいており、そのダイジェストとも言える。
衛藤晟一(1947)自民党参議院議員(比例)、首相主席補佐官
大分大学で生長の家学生会メンバー、大分大学生協議会リーダー。1975年当時、日本青年協議会委員長。大分市議、県議を経て、1990年衆議選に初当選、計4回当選。1993年初当選の安倍氏と出会ってすぐに意気投合、以来「盟友中の盟友」と言われる。郵政民営化に反対して自民党を離党するも、刺客を送られて落選。しかし第一次安部政権時に、落選中なのに安倍首相の強い押しで復党という前代未聞の厚遇を受ける。いかに強い結びつきがあるかが分かる。その後、参院比例区で2連続当選。生長の家学生運動の出身者としては現在唯一の国会議員で、安倍首相との接点として他に代え難い存在。
椛島有三(1945)日本会議事務総長、日本青年協議会会長
長崎大学で生長の家学生会メンバー、全学連に対抗する民族派学生の組織である長崎大学生協議会を全国に先駆けて結成、2代目リーダー。「全国学協」、「日本青年協議会」、「反憲学連」を次々と組織化。「日本会議」の前身である「日本を守る会」の事務局に彼が加わって以来、「元号法制化」を成功させ、その後も「日の丸君が代義務化」「靖国公式参拝」「教科書」「教育基本法」などほぼ全ての右傾化・復古的運動を背後で推進してきた。「日本会議」とその実行部隊である「日本青年協議会」は最強の右翼運動団体であり、最強の自民党後援組織である。
伊藤哲夫(1947) 日本政策研究センター代表、安部政権の筆頭ブレーン
1976年当時、生長の家青年会の「中央教育宣伝部長」。教団が1983年10月に突然、右翼政治活動を停止したため、やむなく「日本政策研究センター」を立ち上げたものと思われる。「改憲」と「明治憲法復元」が同センターの運動目標と言明。日本会議常任理事。第一次安倍政権誕生前から安倍氏を支え続けており、現在は筆頭政策ブレーンと目されている。憲法改正のポイントとして、緊急事態の追加、家族保護条項の追加、自衛隊の国軍化を主張し、自民党改憲草案には正にこの通りに盛り込まれている。また「歴史認識」「夫婦別姓反対」「従軍慰安婦」「反ジェンダーフリー」などの反動政策を側面から推進している。
百地章(1946)日大教授、「集団的自衛権を合憲とする」憲法学者の一人
静岡大学で生長の家学生会メンバー(未確定情報)。京大院在学中の1969年に、「 全日本学生文化会議、日本の文化と伝統を護る学生の集い」の結成大会実行委員長を務めた。「谷口雅春先生を学ぶ」創刊号の編集人、『「朝日・グレンデール訴訟」を支援する会』代表などを務める。生長の家関係者の中では希少な憲法学者として、日本会議の派生団体である「美しい日本の憲法を作る国民の会」の幹事長、「二十一世紀の日本と憲法有識者懇談会」の事務局長を務めている。護憲派の「憲法カフェ」をパクった『女子の集まる憲法おしゃべりカフェ』活動でも中心的な役割を担う。
高橋史朗(1950)明星大教授、「親学」の提唱者
1976年当時「生長の家学生会全国総連合」の委員長。彼は在米中に、GHQの事前検閲で押収されていた谷口雅春氏の著作を発見したとされ、1982年に「御守護(神示集)」として国内で初めて出版された。上記4名に比べて若輩の彼が「日本青年協議会」の幹部に名を連ねたのは、この功績によるとされる。「新しい歴史教科書をつくる会」副会長や埼玉県の教育委員も一時務めた。最近では、南京事件記憶遺産登録に対する外務省の反対意見書の起草を行い、お粗末な否定論がかえって日本の印象を悪くして逆効果になった恐れがあると報道されている。
安部政権と直接の関わりはなく、メディアにもほとんど登場しないものの、もう一人欠かせない人物がいる。生長の家原理主義者たちにとって、教祖・谷口雅春氏逝去後も、宗教的求心力を生み出し続けている人物と見られる。
安東巌(1939)生長の家千葉教区教化部長、「神の子」
高2の時に大病を発し、長らく闘病。その7年目に生長の家の教義に触れて入信し、「人間神の子、本来、病なし」の教え通りに病を克服。1966年、長崎大に入学。椛島と共に長崎大学生協議会を立ち上げ、初代リーダーとなる。以後は教団内で布教活動を続ける。教祖・谷口雅春氏本人から、信仰のお手本として講話に取り上げられた人物であり、椛島らからも「先輩」「神の子」として畏敬されるカリスマ的存在。
なぜ椛島らが右翼運動を連綿と、バラバラになることもなく、互いに補完し分担するようにして50年近くも続けてこられたのか? それは安東巌氏の宗教的求心力、「神の子」としての存在感ゆえではないか、と菅野完氏は看破する。安東氏は椛島らと定期的に会い、実質的に統制しているのではないかと菅野氏は推察している。
安東氏は現在もリベラル・エコロジー教団となった生長の家に留まり、一介の教化部長として、自らの難病克服体験に基づく宗教的な講話を行い、信者から圧倒的な支持を受けている。彼は公開の場で政治的な話はしていないようである。もし彼が「明治憲法復元」とかの発言をすれば、現総裁・谷口雅宣氏は彼を罷免し、安東氏は大勢の聴衆に影響力を与える機会を失ってしまうだろう。
稲田朋美(1959)自民党衆議院議員(福井1区)、政調会長
祖母、母、父、本人とも熱心な生長の家信者というこの方も追加する。写真は祖母の代から愛読してきたという「生命の実相」黒布表紙版を自慢げに見せる本人(YouTubeより)。極右思想の持ち主として広く知られる。実父も極右運動家。「百人斬り競争」の名誉毀損裁判に弁護士として加わった際、当時の安倍幹事長代理の目に留まりスカウトされたとされる。生長の家も自民党も男尊女卑のムラ社会であるためか、彼女の存在は軽い。(失礼ながら)話は上手くないし地頭も良くないようだし、広告塔としても活用されていないように見える。
岸信介と谷口雅春、一億総玉砕で日本を破滅の淵にまで追いやった指導者のうちの二人、その後裔である安倍晋三と生長の家原理主義者たちが知らぬ間に現在の日本を牛耳っているのだ。彼らは71年前の敗戦を認めることも、世界的にも素晴らしい日本国憲法を受け入れることも出来ない。彼らは明治憲法の復元、従って大日本帝国への復帰を目指している。
連中を今すぐ止めなければならない!
【注1】Web記事では 1979年とあるが、単行本では 1973年と訂正してある。
谷口雅春は政治的文脈以前に荒唐無稽の曲説邪説を専売特許してるような人物でした。『生命の実相』に書いてあったことで、いくつか思い出すことをあげれば、
*人間は神の子であって霊によって生まれるものなのに、両親が汚い液体を混ぜ合わせて作ったなどと聞くと、屈辱感から父祖を憎むエディプス・コンプレックスというものを持つようになる(フロイトがのけぞる珍説!)。
*病気は霊によるもので、物質的な原因によるのではない(そう言いながら信者たちは病気になると唯物的な医学を行う普通の病院に行く)
*自己限定をやめよ、汝は神の子である。すべては神から無限供給されている(生長の家の信者で固めている某大企業などは、どうして給与を無限供給しようとしなかったのだろう)
*女の子は幼いうちは女だと言って育てるべきではない(なぜ女だと具合が悪いのだろう。それこそ自己限定だろう。女には無限の可能性と能力があるとでも教えればいいのに)
*女性信者向けの「白鳩」という雑誌には毎号、女性信者が信者の集会で語った体験告白が載っていたが「私の夫は飲む打つ買うおまけに殴るの四拍子も揃ったひどい亭主でした。友達の誘いで生長の家を見に来た私は、自分の悩みを**先生に打ち明け、さぞ、なにか同情や励ましの言葉を頂けるとおもったのに、先生は「奥さん、あなたは大変な思い違いをしていますね。今日帰ったら毎日必ず一度は旦那さんを拝んでください」とおっしゃるのです。何を言われるのかと思いましたが、半信半疑で試してみると・・・いまでは、こんなに優しい人はない、模範的な夫なのです」というのが、お決まりのパターンだった。
安東は朝日新聞東京版夕刊連載「日本会議をたどって」では生年未詳となってたんですけど。「わが思いひたぶるに」にそういう風に出てるのなら、朝日の調査不足ですな。
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