自衛隊を憲法に明記してはいけない! 明治憲法の欠陥に学べ

(1) 国家の目的は国民の人権を護ること。最悪の人権侵害である戦争を避ける手段の一つが自衛隊だが、それは最後の手段であり、効果/費用が悪く、人権を護る目的に反する面もある。

(2) 憲法に明記すれば、三権に次ぐ特別な地位を自衛隊に与えることになる。歴史の教訓は、それは避けるべきことと教えている。


自衛隊を現状のままで追認するために、或いは第9条2項との矛盾の可能性を慮り、憲法のどこかに自衛隊を明記すれば良いとの意見がある。リベラル的な立場の人や民進党議員にも少なからず見られる見解である。

しかし筆者はこれに強く反対する。自衛隊を憲法に明記してはいけない理由は冒頭の通りで、以下に詳しく述べる。別記事と重複する点もあるが、何度でも繰り返したい。

日本国憲法とは、主権者たる国民の観点から、目的(国民の基本的人権を護ること)と権力/政治の基本的な枠組みを規定したものである。日本国は、国民の基本的人権を護るために存在する。あえて象徴的に言えば、憲法第13条を実現するためにある(すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする)。自衛隊を持つことは、決して国家の目的ではない。

人権侵害の中でも戦争は最悪であり、国家はこれを避けなければならない。戦争を防ぐ手段は多々あるが、自衛隊はその一つに過ぎず、しかも最後の手段である。戦争の抑止力としてまず第一に重要なのは、相手国との人的、経済的結びつきである。過剰な武力を持つと、抑止どころか、むしろ戦争を誘発するのは歴史が証明する通りである。

自衛隊は効果/費用が悪い。5兆円超の自衛隊予算は、GDPの1%というが、税収の10%にもなる。自衛隊員への報酬以外は、非生産的であり何も価値を生まない。保育所、奨学金など将来への投資も不十分、年金も不十分なのに、国防に優先的に予算を充てるのはむしろ「国亡」的である。人権を護ること、国力を高めることと、自衛隊は相矛盾する面がある事を忘れてはならない。

国家の目的ではないもの、やり過ぎると目的に反するもの、手段の一つに過ぎないものを、人権条項や三権規定などと同列に書いてはいけない。これが自衛隊を憲法に明記すべきでない理由の一つである。

大日本帝国が無理な軍拡を進め、満州国建国/日中戦争と侵略に突き進み、世界最終戦争としての無謀な日米開戦に至り、一億総玉砕の崖っぷちにまで自らを追い詰めたのは、明治憲法の欠陥が最大の原因である。その欠陥とは:

> 第11条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス

と、陸海軍を規定する一方で、内閣も総理大臣も全く記述がないことである。あるのは、

> 第55条 国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス

と、国務大臣をまるで天皇の秘書のように規定しているだけで、省庁(大蔵省、外務省・・・)の記載は全くない。

つまり明治憲法上、陸海軍は天皇直属で、内閣や総理大臣とは別格な存在と言える。文民統制どころではなく、首相といえども軍部に意見すれば、明治憲法の規定を楯に「天皇の統帥権干犯」として非難・糾弾されていた。若手将校による暗殺も横行した。これこそが軍部専横を引き起こし、大日本帝国が破滅に至った最大の原因である。

もし自衛隊を日本国憲法に規定したとしたら、どうなるだろうか?

自衛隊は、象徴としての天皇、三権としての国会、内閣、裁判所に次ぐ位置づけとなるだろう。一般省庁(財務相、外務省・・・)は一切記述されていないのに、行政機関の中で自衛隊だけが規定されるのは奇妙なことである。自衛隊/防衛省は他省庁に優越する特別な存在になってしまうだろう。自衛隊が予算、人員で優遇を求めるようになる。防衛予算が膨張すれば、削られるのは年金、医療など福祉だ。あっという間に「欲しがりません、勝つまでは」が再現し、軍国化は急速に進むだろう。これが自衛隊を憲法に明記すべきでない第二の理由である。

繰り返すと、憲法とは、主権者たる国民の観点から、目的(国民の基本的人権を護ること)と権力/政治の基本的な枠組みを規定したものである。日本国は、国民の基本的人権を護るために存在する。自衛隊を持つことは、決して国家の目的ではない。自衛隊は戦争を防ぐ最後の手段に過ぎない。

国民が平和を望むなら、憲法と自衛隊は本質的に馴染まないもの、明記してはいけないものである。


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