【道徳教育全般へのコメント】 <pdfはここ>
文科省22徳目は、内容の重複が多く、合理性も論理性も体系性も感じられないので、3つの重要ポイントの視点(後述)から、敢えて分類し取捨してみる。
(○:主要なもの、△:許容できるもの、▲:要注意、▼:除外すべきもの)
(インデントは3段階の重要度を表す)
ア)主権者としての自覚に関連するもの
. ○#1「自主、自律、自由と責任」
. △#12「社会参画、公共の精神」
イ)#1「自主、自律・・・」と矛盾するもの、価値観の押しつけ、内心の自由への干渉
. ▼#2「節度、節制」
. ▼#3「向上心、個性の伸⻑」
. ▼#4「希望と勇気、克⼰と強い意志」
. ▼#22「よりよく⽣きる喜び」
ウ)「個人の尊重」と「公共の福祉」に関連するもの
. △#6「思いやり、感謝」
. △#7「礼儀」
. ▼#8「友情、信頼」 ←内心の自由への干渉、価値観の押しつけ
. ○#9「相互理解、寛容」
. △#10「遵法精神、公徳心」
. ▼#14「家族愛、家庭⽣活の充実」 ←価値観の押しつけ
. ▲#15「よりよい学校⽣活、集団⽣活の充実」 ←価値観の押しつけ
. △#18「国際理解、国際貢献」
. ○#19「⽣命の尊さ」
エ)公正、公平、社会正義
. ○#11「公正、公平、社会正義」
オ)道徳の範疇をも逸脱した価値観の押しつけ、内心の自由への干渉
. ▼#13「勤労」
. ▼#16「郷⼟の伝統と文化の尊重、郷⼟を愛する態度」
. ▼#17「我が国の伝統と文化の尊重、国を愛する態度」
. ▼#21「感動、畏敬の念」 ←宗教教育の懸念
カ)自然科学系の教科で学ぶべきもの
. #5「真理の探究、創造」
. #20「自然愛護」
3つの重要ポイント:
I.「個人の尊重」と「公共の福祉」
II. 公正、公平、社会正義
III. 主権者としての自覚
各徳目の詳細は、中学校学習指導要領(平成29年告示)解説「特別の教科 道徳編」による。
以下、▼:除外すべきものを中心に補足説明:
(イ)の4徳目は、#1「自主、自律、自由と責任」と矛盾する。「自主、自律」と唱えた直後に、ああしろ、こうしろと並べ立てているのは、笑止である。
#2「節度、節制」が重要なら、科学的データを添えて、保健体育で取り上げれば良い。ちなみに「健康」という言葉はここで一回のみ、「運動」は全く出てこない。22徳目は不健康なのである。
#22「よりよく⽣きる喜び」は重複であり、蛇足である。
(ウ)では、まず#8「友情、信頼」(下に引用)は#6「思いやり、感謝」と重複するし、微に入り細に入りここまで五月蠅く指図するのかと呆れる。中学生の段階でここまでの深い友人関係は考えにくいし、むしろ逆に、それほど友人を絞らずに幅広く接する方が望ましいのではないかと筆者個人は思う。イジメ防止も配慮すれば尚更である。
#8「友情、信頼」 友情の尊さを理解して心から信頼できる友達をもち,互いに励まし合い,高め合うとともに,異性についての理解を深め,悩みや葛藤も経験しながら⼈間関係を深めていくこと。
#14、#15も、#6と重複するだけでなく、家庭や学校を特別なものとして位置づける意図が感じられる。「⽗⺟、祖⽗⺟を敬愛」、「教師や学校の⼈々を敬愛」と、「敬愛」の押しつけである。
片親とか祖父母と疎遠な(亡くなった)生徒はどう感じるだろうか? 親、祖父母、学校関係者を同列にすべき理由も不明である。よく相手してくれる叔/伯父母はどうするのか? スポーツクラブのコーチや学習塾の先生はどうするのか? 先生など学校関係者を、日頃接する時間が長いからといって、自動的に敬愛できるかどうかは疑問である。要するに普遍性がない。
ただし#15の後半部分「様々な集団の意義や集団の中での自分の役割と責任を自覚」は許容できる。
(オ)の4徳目は、道徳の範疇をも逸脱した価値観の押しつけと見る。「道徳」の定義「社会生活を営む上で、ひとりひとりが守るべき行為の規準・・・」から、いずれもはみ出していると思う。
#13「勤労」は、教材の実例からすると、特に際だって偏った価値観を呈しており、「勤労とは、耐えて、頑張り、やりがいを見い出すもの」と声高に唱えている。
ひょっとすると、憲法第27条「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ」にかこつけているのかも知れない。しかし引退者や不労所得者が、働かないからといって憲法上の権利を失う訳では全くなく、「勤労の義務」はたんなる精神的規定で実効はないとされる。
そもそも「勤労」という漢字には、「義務的に働き、疲れる」というニュアンスが含まれる。中立的な「仕事」という言葉を使うべきであろう。「仕事」は収入を得るためでもあるし、主には自己実現のためである。合法的な仕事であれば、すべて社会に貢献するはずである。
#16、#17の郷土、国を愛する態度も、いくらでも突っ込み所があり、本質や普遍性に欠ける。
「愛する態度」であって、「愛する心」でないのは面白い。恐らく、内心の自由への干渉との批判を避けるためであろう。「態度」だけなら、日の丸を振るぐらいは猿でも破壊工作員でも出来るので、その程度のことと解しておけば健全ではある。
「伝統と文化の尊重」は、中身を知らずしても尊重せよと言うのだろうか? 中身を知るには相当の時間が掛かるし、その結果、好きになれないものもあるだろう。
「自分の郷土はない」と認識する人も最近は増えており、無いものは愛しようがない。津波や放射能汚染で郷土を離れざるを得ない人には、傷口に塩を塗るようなものではないか。
「国」という言葉のイメージは、人によって様々である。国土、四季風土、風景、国民、憲法の規定する三権、「国民主権、基本的人権の尊重、平和主義」の理念、「個人の尊重」が実現される社会・・・等々。イメージによっては答えが真逆になりうるので、「国を愛する」という表現に普遍性はない。
なお、国とは、間違っても時の政府や官僚機構を意味しないことだけは、強く念押ししたい。それらは国民に奉仕すべきものである。
#21「感動、畏敬の念」は、憲法第20条第3項で禁じられている宗教教育の懸念がある。八百万の神の日本では比較的受け入れやすいかも知れないが、一神教の信者からすれば、「神」以外のものに感動、畏敬の念を持つことは反宗教的行為にあたるかも知れない。
(カ)の2徳目は重要であるが、道徳で半端に扱うべきではない。自然科学系の教科で事実に基づき論理的に学ぶべきであり、そうやって始めて正しく理解できる。
教材と徳目との関連づけは避けるべき
とにかく徳目が無意味に多すぎる。年間約35回の授業に振り分けようと、お役人が鉛筆なめなめ水増したのであろう。教科書で良い教材があっても、徳目との関連づけに無理のある例がたいへん多い。教材から素直に受け取ったことと、徳目とが結びつかずに、生徒が混乱する懸念が大いにある。授業が全く無駄になりかねないので、徳目との関連づけはなるべく避けるべきだ。
まとめ
文科省22徳目のうち、12徳目は道徳教育からは除外すべきと考える。
2徳目(#5、#20)は重要であるが、自然科学系教科できちんと取り扱うべきである。
10徳目(#2、#3、#4、#22、#8、#14、#13、#16、#17、#21)は道徳の範疇を逸脱していると思われる。そもそも内心の自由への干渉や、根拠のない価値観の押しつけは、「個人の尊重」に背く非道徳的な行為だと認識すべきである。