「重荷五十年」9.戦時中の農村と私 ‐ プロパガンダ ‐

Skさんは終戦当時20才、自宅で家族と平穏なお盆を過ごしていた(はず)。

Skさんは兄と妹の三人兄妹で、兄は病気(兵役は無理と思われる)、妹は年が離れ、母も病弱とのことで、主に父と彼女で農作業をした。戦後もずっと実家に居たようなので、婿養子を迎えたと推測される。

1937年11月、Skさんが小6の時、陸軍大臣・杉山元からの感謝状をもらって『とてもうれしゅうございました。』 夏休みに芝刈りを2週間も手伝い、親からもらった三円を、校長先生にお願いして『国防献金』していたのである。彼女は模範的な皇国少女だったと思われる。

彼女は通常の農作業について、あまり書いていない。その代わり、ため池工事と道路工事につき、詳しく記している。父親は公務が多かったとあるので、彼女が一家を代表し、人夫として何度も工事に参加したようである。

食料不足や玉音放送については、全く触れていない。手記は、1947年1月、彼女が出産した直後に電気が灯ったことに飛んでおり、『世が変わったような思いがしました。

Skさんは手記の後半で、1942年、17歳の時の朗読原稿をそのまま転載している。日本放送協会(現NHK)尾道放送局で本人がラジオ放送したという。当時はほとんどが生放送だった。題名は『私の敢闘貯金』。

1942年6月19~25日「貯蓄強調週間」のポスター。左下の挿絵は、まさに東南アジアへの侵略を描いている。「プロパガンダ・ポスターにみる日本の戦争」より、右も下も。
1941年の戦時債券募集ポスター。一般家庭でも買えるよう、5円、10円の少額面債券が発行された。戦後のインフレにより、これら債券の価値は数百分の1に暴落した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時政府は、左写真のように、国民に貯蓄を奨励していた。目標額230億円は、現在の価値にして20兆円ぐらい。これを原資にして金融機関に戦時国債を買わせたのだろう。もちろん個人が国債を買うのも奨励し、右写真のように少額の債券も盛んに発行された。貯蓄奨励の一環として作文コンクールがあり、Skさんの作文は特別賞を獲得し、ラジオ放送されることになったものと推測される。

Skさんの朗読の冒頭は、自己紹介に続いて:

去る昭和十六年十二月八日、かしこくも宣戦の大詔を奉載いたしまして、感激の涙と共に、この大東亜戦争を勝ち抜く決意に燃え立った私は、戦時下における食糧増産の聖き使命を双肩にになって、毎日雄々しく農事に励みつつひたすら貯蓄報国にまい進致しております。

まるで平壌放送ではないか! 初めて読んだとき、私は戦慄した。彼女の手記が、この本の中で最も衝撃的であった。

この月々の貯金を生み出すためには、わが家においては、一生懸命家業に精出すかたわら、少しの暇をも利用いたしまして、夜業にも縄をなったり、あるいは炭俵を編んだり致します。又、冬の農閑期には、一昨年から行われている、部落のため池工事にも、人夫として進んで出て働くのでございます。・・・

このほか女子青年として団体的に、春は田植えに、夏は草刈りに、秋は稲刈りなどに出て、手不足な農家のため勤労の汗をささげます。そしていただいた賃金又は謝礼は、一部分を団費にするほか、債券の購入費や郵便貯金にしているのでございます。・・・

今後一層精出して働くと共に、消費節約を徹底的に致しまして、一銭でも多く貯金して貯蓄報国の誠をささげようと思っております。・・・

政府にとって完璧なまでに好ましい表現が、徹底的にとことん続くのである。超優等生の作文である。憶測だが、兄が兵役の義務を果たせない負い目があって、Skさんは皇国少女として頑張ろうとの思いがより一層強かったのではないだろうか。

大日本帝国というと、現在の北朝鮮を連想するが、比較にならないほど遥かに徹底して統制されていたと思う。脱北者は数えられないほど多いが、脱日者はソ連への亡命者ぐらいで数えるほどしかいない。天皇一神教の教育勅語教育により、日本国民(特に青少年)は見事に徹底的に洗脳されていた。17才の少女がこのような作文を書くのである。驚くしかない。

戦前の日本放送協会は国内唯一の放送局で、プロパガンダ機関と位置づけられ、完全に政府のコントロール下にあった。

大日本帝国は、北朝鮮よりも、オウム真理教団に似ている。天皇/軍部が教祖であり、信者(国民)は一片たりとも疑問を持たず、命令には絶対服従する。もし批判でもしようなら、忽ち警察から睨まれ、周囲からは非国民と非難された。同調圧力の高い壁に囲まれていた。世界史でも他に例がないほどのカルト国家で、ひたすら破滅に突き進んでしまった。

カルト化に大きな役割を果たしたのが日本放送協会である。政府の指示通りに国民を戦争に引き摺り込んでいった。なにせ当時唯一無二の放送局である。新聞も同じようなことばかり書いており、国民が疑いを持つはずもなかった。世界の情勢を全く知らずに、政府の言う事を信じ込み、戦争に熱狂し、国民は自ら深く深く墓穴を掘ったのである。国民全員がその墓穴に埋まる寸前にまで行ったのだ。

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